“ご機嫌よろしゅうございます”。この言葉は江戸時代より古くから、初めは上の位の人へ敬意を払うために、その後は同じ立場同士がお互いを尊重し合うために使われていたようです。そして遠州流茶道では今も、お互いに敬意をはらい、始まりと終わりのご挨拶として使われています。2022.10、金沢で開催される全国大会を前に、遠州流茶道の世界についてお話をお聞きしました。
■お答えいただいた方
小堀宗実(こぼりそうじつ)さん 遠州茶道宗家十三世家元
遠州流茶道の歴史と金沢の関わり
流祖である小堀遠州は、戦国時代の末期に生を受け、徳川家康、秀忠、家光の三代将軍の時代に最も活躍した大名茶人です。そして、その小堀遠州が始めた茶道を遠州流といいます。遠州公は、茶人であると同時に幕府の官僚だったので、大名としての務めや幕閣の一員として将軍に近い仕事をしていました。主だった仕事は伏見奉行。江戸にいる将軍と、天皇がいらっしゃる京都の間で、全国から集めた情報を将軍に伝える役目です。将軍と天皇の関係が良好になって世の中が平和になるような、そういう役割をしていました。また遠州公の名を高らしめたのは、作事奉行としての才能を発揮したことです。手がけた中で有名なものは、名古屋城や大阪城の天守閣、京都にある二条城、江戸城の庭園などがあります。このように、公の仕事にたくさん携わった人です。
茶道は、戦国時代から武将の中で精神的な拠り所としてとても重要なものになっていました。茶の湯を好んだ豊臣秀吉の影響で、武将たちも興味を持っていたのです。戦乱が収まり、徳川の時代に入り、大名間の人間関係を構築していくコミュニケーションとして、茶会という在り方に変わっていきます。ただ厳しいだけではなく、心豊かに、思いやりやおもてなしを持った今の茶の湯に近い形が始まりました。その時のリーダーが遠州公です。そして遠州公のお茶は「綺麗さび」といわれるお茶。無駄なものを削いだわびの世界に、艶を与え客観性を持つ調和の精神をとても大事にするものです。
遠州公は多くの大名とお茶を通じて親交がありました。特に文化・芸術に造詣の深かった加賀藩 三代(前田利常)と四代(前田光高)は、茶道の分野で小堀遠州に師事しました。これが金沢と遠州流茶道の深い関りの始まりです。利常公と光高公は茶道にとても熱心で、分からないことや興味があることは全て遠州公に尋ねていました。その手紙が今もたくさん残っています。そして前田家の茶道具に関しても、遠州公が目利きをするなど、親密で近い関係にあったことが分かります。また、作事奉行をしていた遠州公には、お城や公的事業を行うとき、資金調達の仕事がありました。その際は、財力のある前田家の支援を受けていました。茶道という心の部分では遠州公が指導をし、仕事の部分では前田家によって助けられていたのです。
遠州公が茶道の指導に前田公の屋敷を訪れる際、常に同道していた遠州末弟 左馬助も前田家と深い関わりをもった人物です。左馬助は現在の裏千家の千宗室が前田家に仕官する際、間に入って世話などもしています。左馬助の子供が利常公の家臣に、遠州公の孫が前田家の家来になるなど、それからも関係は続き、金沢には遠州一族の屋敷跡やお墓が今も大切に守られています。
遠州流茶道の特徴とは
遠州流茶道は、和歌をとても重要視しています。「綺麗さび」のなかでも重要な要素です。遠州公が茶道界をリードしていく中で、茶入をはじめとする茶道具に和歌を用いた歌銘(うためい)をつけることで、そのお道具がより一層、個性豊かに、他のものとは全く違う独自のものになっていくのです。このように、和歌を用いたことは非常に大きな特徴です。
またお茶会の形式は、利休居士が2畳や1畳半の狭い空間に一対一で行われていたものが、「書院」といわれる大きな空間でも展開されるようになり、それぞれの席で多様な趣向ある茶会を楽しめるのも特徴です。
他には、江戸時代は鎖国とはいえ長崎に海外のものが入ってきました。遠州公と親しかった長崎の奉行は、まず遠州公のところに見せにいき、「これは面白い」と言った品を、本来は、茶の湯の道具ではないけれど「見立て」てお茶会に使用しました。そのあと遠州公は、既成の舶来品ではなく、最初から茶道具として使えるように注文を始めました。例えばオランダのデルフト焼きもその一つです。このように、一つのことだけに捉われず色々なものを取り合わせ、お互いが活きるように調和を大切にしたスタイル、つまり茶道を総合芸術化したことも遠州流の特徴であると思います。
これからの茶道について
この2年、コロナ禍の中、茶道だけでなくエンターテインメントの世界など、全てがリアルで行えなくなったとき、オンラインというツールを使って表現する場ができたのは新しい出来事です。けれど、オンラインの世界では、亭主がお点前をしているとき、お客様は椅子に腰かけているかもしれないし、横になっているかもしれない。同じ場所で、同じ空気を感じることはまだ難しいのです。茶道の世界は、招く人(亭主)と招かれる人(お客)、人と人が同じ空間に必ずいて、それを共有します。亭主とお客様は、いつでも同じ目線で物を見て、考えて、語る。これはリアルでなければなかなか成し遂げられない、これからも変わらない、茶道にとって一番の特徴であり強みであり良さです。
一方で、オンラインの良さも否定できません。今後、小堀遠州や小堀宗実というアバターによるメタバースのお茶会を体験する日も、そんなに遠くないかもしれません。ただし、仮想の世界で終わるのではなく、そこで見たもの触れたものが、実際の世界で体験できる、本物を楽しんでもらえるということをゴールにしたいですし、それがリアルの世界で生きている私の使命と思っています。
「小堀遠州だったらどうするか?」と思うこともあります。遠州公という人は、メタバース茶会はしないかもしれませんが、その時代に流行っていることをする人、創造する人だと思うので、400年を経て十三世である私も、一歩、二歩、新しいことに踏み出すのも必要ではないかと思っています。娘の宗翔はアスリートに向けた“アスリート茶会”を開催し、茶道の文化やスピリットを通して世界で活躍してもらえるような取り組みを行っていますし、私も子供茶会を2001年からずっと続けています。人間の持っている良さや魅力を引き出すものとして、茶道というのは重要な役割があると思いますし、そのようなことをこれからもできれば良いと思います。
2022.10、金沢で開催される遠州流茶道全国大会への想い
それはもう大変喜ばしいことです。流祖と関りが深い金沢で、遠州流茶道の全国大会ができるというのは、400年以上も前の歴史に対する感謝、そして恩返しになります。十三世という世代を経て、自分がこうして大会ができることは非常に深い喜びです。
関連リンク
遠州流茶道