「じょんから」や「三味線」と聞いて青森県の津軽を思われる方も多いと思いますが、実は金沢と深い関わりがあること、ご存知でしょうか。そこで、2023年に3回目の開催を迎える『全国じょんから三味線競技会 石川大会』大会委員長である一川明宏さんに、“じょんから”やその歴史、大会への想いなどを伺いました。
■お答えいただいた方
一川明宏(いちかわあきひろ)さん 津軽三味線 明宏会主宰
『全国じょんから三味線競技会石川大会』大会委員長
22歳のとき、加賀山昭さん(現・民謡加賀山流家元)が弾く三味線の音色に魅了され弟子入り。その後独立してから24年、石川に数少ないプロの津軽三味線奏者。
じょんから節と三味線の歴史、金沢との関わり
『全国じょんから三味線競技会 石川大会』の名にも使用している「じょんから」は、仏教(阿弥陀経)の「常和楽(じゃんわら)」の中にある口説きを歌にしており、それが「じゃんわら」から「じゃんがら」そして「じょんから」になりました。石川県の能登の方では「ちょんがり」、富山県では「ちょんがれ」などと言われています。そして「じょんから節」が存在したのは戦国時代の前から。仏を信じてすがる時代、一向衆が金沢城のところを占拠していた時に蓮如上人の教えを歌にし、戦の度に歌い踊っていたのが始まりです。その頃は手拍子に合わせるだけで、太鼓や三味線が入るようになったのはずっと後なんです。その後、豊作に感謝し神社仏閣に奉納する時に歌い踊られるようになり、そして瞽女(ごぜ)さん(※1)達が仏教の教えを一軒一軒周って三味線を弾き歌いお金をもらって生活する時代を経て、お祭りなどで歌われるようになっていったのです。
一方、青森県に「じょんから」が持ち込まれたのは商船である北前船が活躍し、豪商が青森からヒノキを運んで金沢城に納めるなど往来していた頃。新潟へ島流しにあった親鸞上人の教えを瞽女さん達が北の方へ持ち込んだという説があり、青森県の方からも”新潟瞽女が持ってきた津軽の民謡”とお聞きすることがあります。
その後明治の少し前から、「ニシン御殿が立つ」と言われるほどニシンの漁獲量が盛んだった北海道を周って、歌い踊ることを商売にするようになりました。たくさんお金が稼げることから、そのような一座がたくさん作られ、張り合うように色々な歌が生まれ出したのです。それが青森の「じょんから節」の始まりです。津軽三味線や津軽の民謡がこれだけ発展し有名になっていったのは、このような画期的な進化があったからだと思います。北陸よりも青森の方が歴史的には浅いですが、より良いものにするため歌や踊り、三味線や太鼓が洗練されていったのは青森、奉納の時に歌い踊ってきたことで仏教の教えをより取り入れているのは北陸と言えます。
※1 女性の盲人芸能者。各地を旅して三味線と唄を聴かせる盲目の女性旅芸人。
三味線を始めたきっかけ
町内の夏祭りで、加賀山 昭さん(現・民謡加賀山流家元)が三味線を弾いているのを見て、「これはすごいな!」と思ったのが始まりです。それまで私はロックギターを演奏し、『香林坊フェスティバル』などにも出演していましたが、その日を境にギターへのやる気もなくなりました。
三味線を始めるには15,6歳くらいまでが良いとされる世界で、22歳の私が始めるには遅い年齢でしたが、入門を決め、それから色々なことを教わり、コツコツと勉強をしました。今に至るまで一度もやめたいと思ったことはありません。その理由は、やはり三味線の奥深さだと思います。北陸にいると太棹(ふとざお)三味線(※2)だけじゃなく、細棹(ほそざお)三味線(※3)を弾く機会もあります。ある程度間のとり方が決まっている太棹三味線と違って、細棹三味線の間のとり方はとても難しく、ためて吐き出す演奏法が魅力。習得までに「細棹10年、太棹3年」と言われるほどです。
※2 太棹(ふとざお)三味線は、胴やバチが大きく、お腹に響く重厚で迫力ある音を出す三味線。津軽民謡や浪曲、義太夫などに使われ、「津軽三味線」ともいわれます。金沢で開催している「全国じょんから三味線競技会 石川大会」で使用されるのも太棹三味線。
※3 細棹(ほそざお)三味線は、小さい胴で細めの絹糸を使用し、繊細で美しい高音を出す三味線。長唄、小唄や俗唄などで使われています。北陸ならではの“越中おわら節”や“山中節”などを奏で、お茶屋さんの芸妓さんたちが使用しているのも細棹三味線。
これからの目標や夢
一家に一丁とまでは言いませんが、多くの家に1本ギターがあるように三味線もそうなってくれたら…そしてもっと若い方たちに三味線に触れてもらえたらと思っています。高価だから手が出せないと思われがちですが、今はリースで三味線を借りることもできるんです。
以前、民謡をしている先生と一緒に小学校で“三味線クラブ”を作り、放課後に教えていたこともありました。でも残念ながら、徐々に人数が減っていってしまい継続できませんでした。皆さん勉強だったり習い事があったりで時間を作るのが難しいみたいですね。他にもあの手この手を尽くしてきましたが、普及させるのはとても難しいです。なんとかこの文化を残していけるよう、今後も裾野を広げるために奮闘していきたいと思います。
金沢で開催される「全国じょんから三味線競技会 石川大会」への想い
金沢の地で三味線の大会ができるというのは夢みたい話なので、10回、20回と続けていきたいです。参加者の中には、出場するのはもちろんのこと、2022年の大会で好評だった会場での加賀棒茶と和菓子の”おもてなし”や、大会後の観光など、金沢へ来ることを楽しみにしている方がたくさんいらっしゃいます。より多くの方にご参加いただき、この大会のために全国から7~800人が金沢に集結する、そういう機会にしたいと思っています。そのためにも、金沢文化スポーツコミッションをはじめ県や市のご協力をいただきながら、大会をもっともっと大きいものにしていきたいです。